愛を貫く

1970年代から80年代頃のニューミュージックと呼ばれるジャンルにくくられる、ある有名なグループの音楽を聴く機会がありました。
当時の作品はメロディも歌詞も両方効かせるような楽曲が多いので、現代の音楽と違って歌詞が明瞭で、自然に頭の中に入ってきます。
今も昔も恋愛をテーマにした作品は多いですが、同じように恋愛を扱っていても、最近の楽曲の歌詞と比べて当時の歌詞を聴くと、ちょっとむずかゆい感じ…、なんとも表現が難しい違和感を感じました。

この違和感はなんだろうかと思いちょっと探ってみたのですが、そこで気付いたことは、単なる「恋心」を高らかに詩で「愛」と表現していたことが違和感の原因でした。
「恋愛」が最も貴重で崇高な「愛」とでも言いたげな歌詞に、気持ち悪さを感じていたのでした。

確かに小学生や中学生の頃は「恋心」も「愛」も区別がつかずにいたと思いますが、大人になってみるとこのふたつは似て非なるものであることが理解できるようになりました。
「恋心」も愛の一つではありますが、私たち人間が持っている愛の全てではありません。
ところが当時充分に大人であったであろうこのグループの作詞者は、恋愛こそが最高の愛と謳っていたのです。
記憶を辿ってみると、当時の楽曲は単なる恋愛を「愛」と詩の中で表現していたものが多かったように思います。
当時の日本人の「愛」に対する認識は、その程度だったということでしょうか?
だとすれば、この40年程で、日本人の「愛」に対する捉え方もそれなりに進歩したと言えると思います。

愛について述べると、動物でも持っている本能的な愛から、情緒的な愛、理性的な愛、そして無償の愛に至るまで、私たち人間は様々な形、そして様々な段階の愛を持っています。
これら愛の段階は、その方の人生の経験値に応じて花開くようになっていて、低次のものから高次のものへと理解が進み、そして同時に身につけられるようになっています。

残念なことですが、高次の愛は、それを理解できる段階になっていない方には届きません。
ある人物に対してこちらが愛を持って色々と接したとしても、その人物がその愛の段階に達していなかったとしたら、その人物からは逆に「冷たい人」などと非難されたり中傷されてしまうことが数多くあります。
本当の愛を貫くということは、そういった非難や中傷にも耐えなければならないので、人生は険しく厳しい道となります。
まさしく「愛とは忍耐」です、逆風の時が愛を育んでいる時と言っても良いかもしれません。

実際、思いやりや優しさに溢れる方は、若い頃に仕事や家庭でご苦労されている方が多いと感じます。
またそういう方は自分自身にも厳しい方でいらっしゃることも多いようです。
愛を学ぶために生まれてきた私たちは、同時に忍耐も学ばなければならないようです。