理性

(「叡智」からつづく)

理性とは良心から流れてくる叡智を受け止める能力です。
叡智を受け止めるには、理解する力、学び取る力、善悪を判断する力といったものが必要です。
ですから理性を育むには、これら理解力、学習力、判断力といったもの、それにある程度の知識が必要なのです。
これらの力を総合的に知力と称することにします。

一般に、知力は小学生から高校生位までの知識欲旺盛な学齢期にもっとも育まれます。
大人になってからでもある程度は育まれますが、学齢期には適いません。
言葉の意味がわからない、論理立てて理解することができない、知識がない、というようなことでは叡智のわずか数パーセントも受け止めることもできないのです。
この学齢期にしっかりと知力を養っておかないと、理性が育まれず、ひいては善悪の判断にも支障が出てきてしまうのです。
学校教育については様々な意見があるものの、基本的な考え方として、やはりこの時期には勉学にしっかりと向き合える環境を子供たちに整えてあげるのが大人たちの責任と言えるでしょう。

人には優しく…、言葉遣いは丁寧に…、助け合いましょう…、慈善をしましょう…、こういった行為はとても価値のあるものです。
これらの行為が、誰かに勧められた単なる善行の実践としてではなく、その方が熟慮し、良心と話し合った上で行われるとしたら、そこには叡智に導かれた愛が伴っています。
つまり、その行為が形式的なものではなく、本人がその理性を使って叡智を受け止めた結果として行為が行われるのであれば、その行為はまさに良心を体現している、愛を実践していると言えるのです。

理性、そしてそれを育む知力は、愛を伴った善の実践のためには必要不可欠なものなのです。

(つづく…)