「悟る」ということ

仏教を信じ、その道を極めようとする方にとっては、「悟りを開く」という事が重大な意味を持つようです。

一応仏教国の一つと言われているこの国に住む私たち日本人にとっても、「悟りを開く」という言葉には、神秘的で、高尚、かつ得難い境地を連想させるに充分な響きがあります。 “「悟る」ということ” の続きを読む

ペットの不調と元気がない観葉植物

生活と心に少しでも潤いを…、と考えて部屋に観葉植物を置いてみたものの、なかなか育ってくれず間も無く枯れてしまったというお話をよくうかがいます。

かつての私自身もそうでした。

あの植物はダメだったから、この種類なら良いかな?、この植物は育てやすいようだから今度こそ…、なんて色々試行錯誤した時期がありましたが、結局何本も枯らしてしまっていました。
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神の御許(みもと)へ

(「生き抜く力」からつづく)

良心の体現者となることが、魂の旅路の目的です。
これまで見てきたとおり、良心とは自分とは違う完全な存在(=神)から流れてくる思念です。
つまり良心の体現者になるということは、神のような存在に近づいていくということでもあります。

「わたしのもとに来る(バガヴァッド・ギーター)」「これらの者に対する報奨は,主の御許にある(コーラン)」「神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共に…(黙示録)」「この光が人をさとらせ、仏の国に生まれさせる(仏教聖典)」と、世界中の様々な聖典に記述がされているとおりです。

私たちは、時にはっきりと善悪がわかるものもありますが、ほとんどの悩み事については善悪の区別がつかないものばかりです。
まずは自分が持っているエゴを明らかにすること、そしてエゴという曇りガラスを少しずつクリアにしていくことです。

保存欲求、自己愛、そして執着が覆っているエゴを見ることは、自分の汚い部分を見ることでもあるので、初めはとても苦痛が伴います。
しかしこれに慣れてコツが掴めるようになると、曇りを拭き取る作業が段々に苦痛でなくなっていくものです。

曇りが薄くなってくると、初めは囁くようでか細かった声、愛と叡智に溢れ善を行うように働きかけてくる良心の声が、やがてはっきりと聞き取れるようになることでしょう。

同時に知力を高める努力も必要です。
知力を高めることで理性が磨かれ、結果良心から働きかけてくる善を認識できることにつながるからです。
善悪の判断に迷うことも少なくなっていくことでしょう。

こういった地道な努力の積み重ねをもって、自分の中から、憎しみ、偏見、悪といったものが少しずつ取り除かれていきます。
そしてそれと入れ替わるかのように、少しずつ内的な充足感、幸福感といったものが増していくのです。

こうしていつの日にか神の御許へ…


これまで8回にわたって、霊的真理のごく初歩的なエッセンスを述べてまいりました。
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生き抜く力

(「理性」からつづく)

私たち人間は不完全な存在です。
不完全だから、完全な存在になるべくこの世に生を受けています。
しかしながらそんな私たちでも完全な部分、つまり良心は平等に持ち合わせています。

前述しましたが、良心とは自分であって自分ではない存在から流れてくる思念と言うことができます。
私たち一人一人に対して、完全なる存在(=神)が直接働きかけてくれているのです。

私たちの不完全さを克服するためには、自ら実践を通して学んでいくしかありません。

何かのスポーツを始めたとしても、いきなり世界のトッププレーヤーになることができませんね。
練習や実践を重ねて、勝ったり負けたり、怪我をしたりスランプに陥ったりする中で、自分の弱点や長所を見つけ出して、見つけた弱点は克服し長所はより伸ばすというようなことをコツコツとしていかないと、その競技でのエキスパートにはなれません。

私たちが不完全さを克服するにも、これと同じように、実生活で失敗しながら、そして壁にぶつかりながら自分自身の欠点や長所を見つめるということをコツコツ重ねるしかないのです。
いきなり完全な存在にはなれないのです。
不完全な私たちだから何かに失敗したり、壁にぶつかったり、迷いが生じるのです。
そして残念ながらこういった失敗、挫折、混迷、苦しみといった試練が人生には多いのも事実です。

知識を得ることも大切ですが、本を読んだからといって試練を乗り越えたことにはなりません。
また、シュミレーションのようなバーチャルな空間でいくら疑似体験したところで、これまた試練を乗り越えたことにはなりません。
厳しいことですが、現実と向き合うことだけが唯一の解決策なのです。

現実は複雑な要素が絡み合って刻一刻と変化しているのです。
その変化に振り回されることなく、柔軟に対応して軌道修正していける力が、現実を生き抜く力と言えるでしょう。
そして軌道修正するときのお手本になるもの、そうです、それが良心です。

良心の体現者となることが、魂の旅路の目的です。

(つづく…)

叡智

(「無条件の愛」からつづく)

また、理性的であるということは、そこには客観的にしかも冷徹に物事を観察して判断するという要素が入ってきます。

私たちが何かの判断をするときには、今までに得た知識、経験、知力などを使います。
そしてそういったものを目一杯活用して内面的に処理している状態を理性的であると言っています。
このような経験の積み重ねが、より人を理性的にし、その方は少しづつ知恵をつけていきます。

知恵とは、辞書によると、物事の筋道がわかって上手に処理して行ける能力のことです。
そして知恵の最上級、神の知恵を叡智といいます。
全知全能の神と言いますが、神は全ての道理をご存知で、全てが調和するように采配されていらっしゃいますから、とても人智では及びません、まさに叡智なのです。

人が自分の内面で一生懸命に考えている時、良心を通してその叡智も一緒に流れてきているのです。
理性的な愛とは、動物的で本能的な愛とは違って、より高いところから流れてくる叡智がその人の理性に訴えかけてくる愛なのです。
理性的な人は一見冷淡な印象を持たれがちですが、実のところは、より高いところからの愛を実践している方とも言えるでしょう。

理性とは良心から流れてくる叡智を受け止める能力です。

(つづく…)