諦観

私たちは、明日起こるであろうことを予想して、準備をしたり、対策を講じたり、心構えしたりすることができます。

ですが、その予想もしばしば外れたり、修正を余儀なくされることはみなさん経験済みのことと思います。

また、あまりにも事細かに決めすぎると、反比例的に後の修正が厄介なものになってしまうこともご存知でしょう。 “諦観” の続きを読む

一生勉強 一生青春

今日から5月、私事ですが5月は一連のワークショップが区切りを迎える月でもあります。
おかげさまをもちまして、今月も何名かの卒業生を送り出せる見込みです。
皆さま3年間毎月熱心に通われて、共に学び、自分自身と向き合い、それぞれの方がそれぞれの日常生活で違いを作ってこられました。
ただ、形式的に「卒業」と表現はしていますが、本当に学びを卒業できるわけではありません。
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深イイ話?

最近ではテレビの地上波を見ることがだいぶ少なくなりました。
モザイクやぼかし、そして字幕だらけの画面…、見ているのも疲れますし、画面から伝わってくるバイブレーションもあまりよろしくないものもあって、別の意味で疲れることもあります。

こんな私ではありますが、一応の情報として「〇〇〇の深イイ話」とか「痛快TVスカッと〇〇」のような番組があることは承知しています。
世の中には「いいお話」はたくさんありますね。

そんなお話を聞いたり読んだり、映画や舞台で観たりすることで、あたかも自分がそれを体験したかのように、一緒に感動したり、また爽快感などを得ることができます。
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真理は自分のために

年頭の神戸会場を皮切りに、今年のワークショップが始動しました。
先日からは東京会場も始まりましたが、引き続きご受講いただける方あり、フレッシュな新顔様ありと、多様な受講者様をお迎えできることは喜びに堪えません。

ワークがメインとなるもの、座学がメインとなるものなどいくつかのコースをご用意させていただいておりますが、その土台にはスピリチュアリズムに代表される霊的真理を学び、実践するという大きなテーマを横たえています。
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霊性退化?

おかげさまをもちまして、近年は各地でワークショップを催させていただいております。
取りまとめにご尽力くださっている皆様、ご受講くださっている皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。

性別、年齢、職業を問わず、実に多様な方達がお集まりくださり、熱心にご受講いただいています。
ご受講されていらっしゃる方々プラスその方を応援している方々の熱気で会場が本当に暑くなることもしばしばあります。

そんなご受講者の中にこんな告白をなさる方が時々いらっしゃいます。

「永いこと勉強させていただいているつもりなんですが、あまり自分が成長している実感がわかないんです…、というより、あれっ?自分は逆に退化しているんじゃないかと思うくらいなんです…」と。

霊的真理を学び、謙虚にそれを受け止めて自分自身の評価に使うようになると、このような感覚になるときがあります。
これはその方が退化しているわけではなくて、それまでとは違った尺度、観点で自分自身を見つめ始めたことにより、自分自身を見る目が厳しくなった結果として起こることです。

生半可な知識でわかったような気になっている時ほど、気づかぬうちに高慢な気持ちが芽生えていき、自分自身を見る目が甘くなっていくものです。
自分に自信を持つことは大切なことではありますが、その自信には常に高慢さが諸刃の剣となって潜んでいることを忘れてはいけません。
進化しているつもりが実は退化していたなんてことになりかねません。

一方、謙虚な人ほど、先に述べたように自分を厳しく評価します。
決して退化しているわけではなく、その方は謙虚さという徳を得たと言えるでしょう。

聖書にこのような一節があります「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。(マタイによる福音書18章3、4)」

自分を低くするとは、謙虚さや慎ましさの事を指します。
自分自身を見つめる目を厳しくした結果として退化しているように感じている時ほど、その方は霊性が進化していると言えるのではないでしょうか。