Ego

(「良心」からつづく)

しかしながら、これを達成するためには、たいていの人は長い道のりを歩まねばなりません。
なぜなら、私たち人間は Ego(エゴ)と呼ばれるものを持っているからです。
心理学者のフロイトはエゴ(自我意識)と名をつけましたが、仏教では煩悩、キリスト教では原罪と名付けられているものとほぼ同じと考えて構わないと思います。

エゴとはなんでしょう、前述した心の中の会話を思い浮かべてみてください。
愛と叡智に溢れ善を行なうように働きかけてくる良心と話し合っているもの、カウンターパートあるいは対立軸とも呼べるもの、それがエゴです。
「頭(心の中)ではわかっているんだけど、なかなかできない」というような言い訳を私たちは頻繁にしますが、こういう良心からの働きかけをストップしてしまっているもの、それがエゴなのです。
良心から流れてくる愛、叡智、善といったものに対して、エゴは憎しみ、偏見、悪を持って、その前に立ちはだかります。

さて、エゴの内容をもう少し掘り下げてみましょう。
私たち人間は、猿類から進化したと言われているホモ・サピエンスの体を使っています。
動物界の頂点と言われるホモ・サピエンスとて動物ですから、どうしても「種の保存欲求」というものが存在していて、自分の体を維持したり守ったりするため、そして同族の繁栄や繁殖のためにオートマチックに働いてしまう「本能」が存在します。
種の保存欲求(本能)のままに人間が振る舞ったとしたら、人間と動物の区別がつかなくなってしまいます。
そのような社会は愛、叡智、善といった高尚なものからかけ離れたものとなってしまうことは明白でしょう。
この「種の保存欲求」はエゴの一つの要素であります。

もう一つ、エゴの要素として、「自己愛」と呼ばれるものがあります。

(つづく…)