理性

(「叡智」からつづく)

理性とは良心から流れてくる叡智を受け止める能力です。
叡智を受け止めるには、理解する力、学び取る力、善悪を判断する力といったものが必要です。
ですから理性を育むには、これら理解力、学習力、判断力といったもの、それにある程度の知識が必要なのです。
これらの力を総合的に知力と称することにします。

一般に、知力は小学生から高校生位までの知識欲旺盛な学齢期にもっとも育まれます。
大人になってからでもある程度は育まれますが、学齢期には適いません。
言葉の意味がわからない、論理立てて理解することができない、知識がない、というようなことでは叡智のわずか数パーセントも受け止めることもできないのです。
この学齢期にしっかりと知力を養っておかないと、理性が育まれず、ひいては善悪の判断にも支障が出てきてしまうのです。
学校教育については様々な意見があるものの、基本的な考え方として、やはりこの時期には勉学にしっかりと向き合える環境を子供たちに整えてあげるのが大人たちの責任と言えるでしょう。

人には優しく…、言葉遣いは丁寧に…、助け合いましょう…、慈善をしましょう…、こういった行為はとても価値のあるものです。
これらの行為が、誰かに勧められた単なる善行の実践としてではなく、その方が熟慮し、良心と話し合った上で行われるとしたら、そこには叡智に導かれた愛が伴っています。
つまり、その行為が形式的なものではなく、本人がその理性を使って叡智を受け止めた結果として行為が行われるのであれば、その行為はまさに良心を体現している、愛を実践していると言えるのです。

理性、そしてそれを育む知力は、愛を伴った善の実践のためには必要不可欠なものなのです。

(つづく…)

まず自分で決める

何か新しいことが人生の視野に入ってきたときに、それに手を出すのか、あるいは止めておくのか。
そして今まで携わっていたことを手放すのか、あるいは継続するのか。
日々選択の連続ですね。

こんなときに必要な姿勢は「まず自分で決める」事です。
スピリチュアルガイドは「やれ」だの「やめとけ」といった決断までは指図しません。
そんなことをしたら、本人が「自由意志を使った責任」を放棄しかねませんから。

スピリチュアルガイドは、まずは本人の決断を尊重します。
その決断が本人の魂の成長に役立つのであれば、全面的にバックアップしてくれるでしょう。
反対にその決断が道から外れているようであれば、何とか軌道修正させようと警告をしてくれるでしょう。

大切なことを占いや書物で決めたり、他人に決めてもらったりする人がいます。
自分で決めないから、うまくいかないことは何でも他人のせいにします。
自分で決断しない人は、自分の人生に責任を取ろうとしない人…。

行き先位は本人が決めてくれないと、ガイドのしようがありませんね。

外見は同じでも…

幻のキノコと言われている松露(しょうろ)。
春と秋に海岸の松林などに育つそうです。
身は白くコリコリとした食感で、芳香と美味で通には有名との事。
私もその存在は知っておりましたが、実際に味わったことはありませんでした。

このたびわが前庭に松露らしきもの(左写真)を発見!
季節は秋、海岸も近く、そして以前この場所は松林だった…とくればもうほぼ間違いないでしょう。

そのうちのひとつを手にとって香りをかぎますが…、それほどいい香りはしません…んっ?
試しに割ってみると…、中はまっまっ黒(下写真)!


色々調べてみたらどうやらこれは贋(ニセ)松露のようです。
誤って食べると幻覚が起こりかねない毒キノコとの記述も。

キノコの世界に限らず、外見は本物そっくりでも中身はまがい物ということは、よくある話です。
それが稀少なものだったり、特殊なものだったりすると、知識がない分つい騙されてしまいがちです。

スピリチュアルという衣を着せて、本当の姿を隠しているまがい物には気をつけないと…。
幻覚に惑わされてしまってからでは、そこから抜け出すのが大変です。

三次元世界にグル(導師)は存在しません

多くの方は、尊敬している人物をお持ちのことでしょう。
歴史上の人物だったり、家族だったり、社内の人だったり、何かのリーダーだったり…。
時にはその生き様を手本とし、ある時は反面教師にし…。

しかしその尊敬が「崇拝」になると、これはいけません。
批判が無くなってしまい、その人物の言うがままに従い…、自らの自由意志を使わなくなってしまいます。
カルトはグル(導師)への個人崇拝を煽ることで成り立っています。

仕事柄、ごくまれに「グル探し」している方にめぐり合います。
私はグルになるつもりなんてさらさらありませんから、そのような人にはこうアドバイスします。
「この世に生きている人間に完全な人なんていませんよ。みんな何かしら欠点があるからこの世に修行しに来ているのです。例外はありません。特定の個人を崇拝するようなことをすると、あとで必ずしっぺ返しにあいます。」と。

グルといえども人間。
必ずや人間であるが故の闇の部分を目にする時が来ます。
そのときの失望たるや、自分が持てる財産、時間、労力を費やしたぶんだけ比例して大きくなるものです。

「○○さんがこう言っているから…」はもう立派な思考停止状態。
崇拝の域に足を踏み入れています。
ご注意を。