叡智

(「無条件の愛」からつづく)

また、理性的であるということは、そこには客観的にしかも冷徹に物事を観察して判断するという要素が入ってきます。

私たちが何かの判断をするときには、今までに得た知識、経験、知力などを使います。
そしてそういったものを目一杯活用して内面的に処理している状態を理性的であると言っています。
このような経験の積み重ねが、より人を理性的にし、その方は少しづつ知恵をつけていきます。

知恵とは、辞書によると、物事の筋道がわかって上手に処理して行ける能力のことです。
そして知恵の最上級、神の知恵を叡智といいます。
全知全能の神と言いますが、神は全ての道理をご存知で、全てが調和するように采配されていらっしゃいますから、とても人智では及びません、まさに叡智なのです。

人が自分の内面で一生懸命に考えている時、良心を通してその叡智も一緒に流れてきているのです。
理性的な愛とは、動物的で本能的な愛とは違って、より高いところから流れてくる叡智がその人の理性に訴えかけてくる愛なのです。
理性的な人は一見冷淡な印象を持たれがちですが、実のところは、より高いところからの愛を実践している方とも言えるでしょう。

理性とは良心から流れてくる叡智を受け止める能力です。

(つづく…)

経験してみないと…

世の中には沢山の情報があり、そのレベルも様々あります。

下世話なもの…高尚なもの…。

この地球上だけでしか役に立たないもの…宇宙全般に使えるもの…。

その中から自分で取捨選択して、知識として頭脳に蓄えていきます。

でも知識は知識。

その知識を自分の身になったもの、知恵のレベルに昇らせるには経験するということが必要。

その知恵にも情報と同じくレベルがあります。

目指すは、上智(叡智)を自分のものとすることです。