良心

ラテンのことわざに「事にあたり良心の命に耳をかたむけよ、生涯に悔いを残さないために」というものがあります。
何かするときには良心に注目することが大切で、良心に背くようなことをするのでは未来はないという意味です。

わが国においては、室町時代に書かれた源氏物語に「心の鬼が身を責める」という有名な言い回しがありますが、これも良心の呵責を意味しています。
私たち人間はいにしえの時代から、人間の内面には善悪のセンサーとして「良心」というものがあることを知っていました。

良心は善そのものであり、愛であり、叡智であります。
何かの判断に迷った時や、決断を迫られている時、私たちは心の中でそっと自問します。
その時この良心が答えを出してくれます。
良心からの答えは愛と叡智に溢れていて、善を行なうようにと私たちに働きかけます。

ですから良心に背いたようなことをすると、悔いが残ったり、自責の念にかられるのです。
これも良心からの働きかけです。

このような体験はどなたでも経験したことがあると思いますが、それはまるで誰か別の人間が自分に語りかけてくるような感覚、あるいは別の人間と話し合っているような感覚です。
そうです、良心とは自分であって自分ではない存在から流れてくる思念と言えます。
その自分ではない存在を、人は神と呼んだり、創造主と呼んだり、あるいはハイヤーセルフ、仏心、大霊、超意識、宇宙意識などと呼んでいるのです。
言葉の違いが混乱を招いていますが、その意味するものは一つでありましょう。

私たちの人生の、あるいは魂の旅路の目的はこの良心を体現する存在となることです。
しかしながら、これを達成するためには、たいていの人は長い道のりを歩まねばなりません。

(つづく…)

祟り?

お子さんの病気に悩むあるクライアント様が、たまたま霊能者と名乗るある人物からお子さんの病気の原因は先祖の祟り云々と言われたということで、とても不安がって相談にいらっしゃいました。
誤解を解いてさしあげ、さらにヒーリングで気持ちを整えてさしあげて、お帰りになる頃にはすっかり元気を取り戻していらっしゃいました。

少し考えていただきたいのですが、もしあなたがあの世に行ったとして、愛情を持って一緒に過ごしたあなたの子供や孫の不幸を願うでしょうか?
多くの人の答えはノーだと思います。

いろいろな家族の形がありますから、中にはいがみ合ったり、喧嘩ばかりしている家族もあることでしょう。
しかし、もしそんな家族の中にいたとしたら、自分が他界することによってそういう煩わしさから解放されるのですから、清々し、あえてそのいがみ合いの輪に戻ろうとはしないことでしょう。

目に見えないことをいいことに、相手の恐怖心を利用する方法は、霊感商法や悪質な宗教団体の常套手段です。
恐怖心をあおるようなことをするその人物こそがまさしく悪霊そのものと言えるのではないかと思います。

これと似たような事例で、終末思想を盾にして人々を誤った方向に導く宗教団体もあります。
「世界で先に気づいた ○○○人 しかあの世で救われない」と吹聴し、恐怖心をあおって勧誘しようとするものです。

神が人数制限をする?
神がそんな了見の狭いことをするとは思えないのですが…