愛を貫く

1970年代から80年代頃のニューミュージックと呼ばれるジャンルにくくられる、ある有名なグループの音楽を聴く機会がありました。
当時の作品はメロディも歌詞も両方効かせるような楽曲が多いので、現代の音楽と違って歌詞が明瞭で、自然に頭の中に入ってきます。
今も昔も恋愛をテーマにした作品は多いですが、同じように恋愛を扱っていても、最近の楽曲の歌詞と比べて当時の歌詞を聴くと、ちょっとむずかゆい感じ…、なんとも表現が難しい違和感を感じました。
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霊性退化?

おかげさまをもちまして、近年は各地でワークショップを催させていただいております。
取りまとめにご尽力くださっている皆様、ご受講くださっている皆様にこの場を借りてお礼申し上げます。

性別、年齢、職業を問わず、実に多様な方達がお集まりくださり、熱心にご受講いただいています。
ご受講されていらっしゃる方々プラスその方を応援している方々の熱気で会場が本当に暑くなることもしばしばあります。

そんなご受講者の中にこんな告白をなさる方が時々いらっしゃいます。

「永いこと勉強させていただいているつもりなんですが、あまり自分が成長している実感がわかないんです…、というより、あれっ?自分は逆に退化しているんじゃないかと思うくらいなんです…」と。

霊的真理を学び、謙虚にそれを受け止めて自分自身の評価に使うようになると、このような感覚になるときがあります。
これはその方が退化しているわけではなくて、それまでとは違った尺度、観点で自分自身を見つめ始めたことにより、自分自身を見る目が厳しくなった結果として起こることです。

生半可な知識でわかったような気になっている時ほど、気づかぬうちに高慢な気持ちが芽生えていき、自分自身を見る目が甘くなっていくものです。
自分に自信を持つことは大切なことではありますが、その自信には常に高慢さが諸刃の剣となって潜んでいることを忘れてはいけません。
進化しているつもりが実は退化していたなんてことになりかねません。

一方、謙虚な人ほど、先に述べたように自分を厳しく評価します。
決して退化しているわけではなく、その方は謙虚さという徳を得たと言えるでしょう。

聖書にこのような一節があります「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。(マタイによる福音書18章3、4)」

自分を低くするとは、謙虚さや慎ましさの事を指します。
自分自身を見つめる目を厳しくした結果として退化しているように感じている時ほど、その方は霊性が進化していると言えるのではないでしょうか。

それで良い…

最近、自分自身に向かって「それで良いです」と言ってあげられているでしょうか?

知らず知らずのうちに、事を成そうと焦ってみていたり、衰える肉体に抗ってみたり、世間の流行りに乗せられていたり、他人のペースに巻き込まれていたり…と。
ある時こんな自分自身に気付かされてハッとします。

何かの役に立ちたいと願う事は悪い事ではないけど、力んでしまったらなんか違うよね…
若々しくいたいと思う気持ちもわかるけど、肉体をいたわる事を忘れてしまったらダメだよね…
人並みでいたいという気持ちが強すぎて、流行りや他人の目を気にしすぎていたのでは…
自分はまだまだ未熟だと思う気持ちは良いのだけれど、もっともっとと欲を出しすぎていたんじゃないだろうか…

慎重に歩んでいたつもりなのに、とうとう肉体が悲鳴を上げてしまった時だったり、失敗をしてしまった時になってから、やっと色々なものが見えてきます。
結局は今の自分に No と言っている自分自身が見えてきました。
人それぞれに、その人なりに一生懸命生きているのです、不要な人など存在しません。
時には自分自身に愛と感謝を込めて「それで良いです」と言ってあげましょう。

流される…

水は高い所から低い所に流れます。
空気も同じで、高気圧から低気圧に向かって気流がおこります。

人間の意識も一緒。
放っておくと高いものも低いほうへ流されてしまいます。

自分が凛としていなければ、知らぬ間に楽な方、低い方へと。
時々自分でチェックしないと。

普通が幸せ

先週のとある日、遠くにお嫁に行かれたクライアント様が、里帰りのついでに SOPHIA にお顔を出してくださいました。
約3年ぶりの再会でしたが、その胸には1才ちょっとになる可愛い娘さんが抱かれていました。

お嫁に行かれる前は定期的に当院で治療をしていただき、その上山本貞彰先生の勉強会(確か年間を通じて開催されていた頃のほぼ最後の年だと思います)にも通い、さらにUKツアーにまで行かれた、なかなか熱心な方です。

治療を通じて定期的にお会いしておりましたので、彼女が仕事のこと、ご自身や家族の健康のことで大変な苦労をされていたことを記憶しております。
当時の彼女が置かれた状況は、「この先どうなるのだろうか」と私自身も心配してしまった位のものでした。
しかしながら3年ぶりの再会は、そんな心配が杞憂であったことを証明してくれました。

娘さんを連れた彼女の顔は輝いており、幸せオーラをキラキラと振りまいていらっしゃいました。
何だかこちらまでほんわかした暖かい雰囲気に包まれて…。
あの時の苦労があればこそ、普通に家庭を持つことの幸せを噛みしめることができていらっしゃるのでしょう。

「若い時の苦労は買ってでもしろ」と昔から言います。
苦難の最中は五里霧中・無我夢中でも、きっと後からそれが報われるときが来るようです。