法則を味方に

ここ十数年、様々な習い事や自己啓発型のワークショップなどが大流行りなのは皆様ご存知のとおりだと思います。
時間的に、経済的に、そして心理的に日本人に余裕ができてきた証だと思います。

私も今までに様々な学びの場に参加したことがあります。
スポーツ系、武闘系、自己啓発系、マネジメント系、スキルアップ系…等々。
その一つ一つは当時の自分にはとても役に立ちましたし、そこで学んだ事柄は今の自分を形作る重要なパーツとなっています。

しかしながらこういった学びは、時期が来るとよく言えば充足感、正直に言うと飽きてきてしまう時がやってきます。
まあその場から遠ざかれば、あとはスッキリ足を洗うこともできますし、学んだことを活かさなくてもそれはそれで済んでしまいます。
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迷子

ぬるま湯の学生時代が終わり、社会という荒波に放り出された頃から私は迷い始めていた。
いや正確には迷っていたことにさえ気づいていなかった。
ただ日常生活に漠然とした物足りなさを感じながら日々を過ごしていた。少し背伸びをしてみた。
酒、タバコ、麻雀、パチンコ、カラオケ…、周りの大人たちがやっていることを真似して大人風に振る舞ってみた。
一通り体験したみたけれどすぐに飽きた。
人生の時間の浪費としか感じられなかったから。

体を動かすことなら健康的かなと考えて、テニスやゴルフなんかにも手を出してみた。
そこそこ人並みにプレーできるようになると、これもまた放り出してしまった。
これを突き詰めたところで、自分に何が残るのかと疑問が生じてしまったから。

やはり勉強が大切だよなぁと思い直し、タメになりそうな勉強会やらセミナーやらに手当たり次第に参加した。
当時社会問題にもなった自己啓発系セミナーも体験してみたし、マネジメント系も体験した。
成績が良かったらしく、講師の目に止まるほどの存在になることができて、講師や受講者仲間からチヤホヤされた。
ちょっと自分に自信がついた。

そんな時期、ある問題が生じた。
自分の人生や自分の存在意義を考えさせられる、人間としての根源的な問題。
散々時間と金を投資したそれらの勉強から得た知識では、生じたその問題を解決するヒントにすらならないという現実を突きつけられた。
今まで私が成果を出してきた場はセミナーや勉強会の内輪の中でのことで、現実にある課題には何一つ手をつけずそのまま放置していたことに気づいた。
今まで築き上げてきた価値観が音を立てて崩れていった。
こうしてセミナーや勉強会からも足が遠のいた。

悶々とした日々を過ごしていたある日、霊的真理に出会った。
いままで迷ってきていたことの本質がわかった。
心が晴れやかになっていく感触があった。
生じたその問題に取り組むという意欲が湧いた。
苦労はあっても日々の生活が生き生きした充実したものへと変わっていった。
霊的真理は私の救いになり、いつの日にかこれを他の人に伝えることができるようになれば良いなとおぼろげに思った。

私が霊的真理を学ぶキッカケとなったのは、本物のスピリットヒーリングを体験したこと。
言葉にできないあの感覚が魂の琴線に触れ、私の内部に眠っていた霊性に火をつけた。

霊的な体験は霊的真理を伝えるキッカケを創るためのもの。
霊界通信ごっこや癒しごっこをして、キャッキャっと内輪で盛り上がるためのものではない。
霊的現象の裏側に秘められた高尚な使命が霊的能力者には求められている。
これを忘れると大きなしっぺ返しが待っている。

今でも迷うことはあるが、以前の様な出口の無い迷いとは違う。
かつての自分のように出口の無い迷いの中にいる人のために、自分の経験がほんの少しでもチカラになることができたとしたら、こんなに幸せなことは無い。
チカラになることができた方がたったの一人だけだったとしても、人生でこれほど価値のあることはないと思う。

指導霊との恊働

霊界からやってきて小さな肉体に宿った意識体は、三次元世界に適応できるようにと、個人差はありますが20年程度をかけて少しずつ肉体とのマッチング作業を行なっていきます。
この三次元世界で言うところの「地に足がついた状態」になるには、それくらいの年月を必要とします。
幼児が霊視や霊聴現象を経験したり、霊界での体験を語ったりするのは、未だ意識体が霊界寄りにあるからです。

成長するにつれ、そして三次元世界で上手に生きていくための躾や教育を受けるにつれて、意識は霊界から離れていきます。
その結果として多くの人は霊界との交流(霊視,霊聴,インスピレーション等)に疎くなってしまい、しまいには、霊的な事象を全く受け入れないという頑な意識を作り上げてしまう人まで現れてしまいます。

一方で、挫折、大病、人生の混沌などを経験した事をきっかけにして、人生の本当の目的や意味を考え、真理を求め始めるという霊的な覚醒をする人々もいらっしゃいます。
そういう方たちはまず、自己啓発・心理学・精神世界といった広い意味での霊的な知識を吸収することで当初は満足(宗教人間)しますが、そのうちに得たその知識を実践させられる場面がやってきます。
そんな場面が訪れた時には、今まで自分の脳に溜め込んだ知識で対応しようとします。
が、結局は壁にぶつかり、再び挫折を味わうことで、さらに深いものを求めて、とうとう霊的真理を学び始める人となります(霊的人間)。

しかし、「意識体の浄化」という人生の目的を達成するためには、日常生活で起きる様々な事柄の中で、霊的真理を実践する人にならなければなりません(求道者)。
知識があることと、活用することとは全く別次元の問題です。
始めは自分一人の力で何とかしようとします。
それでもそれなりに成果は生まれるでしょう。
が、ここでもまた行き詰まりを感じてしまいます。
意識体の浄化は指導霊との協同作業であるという視点を持っていないからなのです。

意識体の浄化作業は、言ってみれば肉体は三次元世界にありながら、意識を霊界に向けることでもあります。
浄化の道を一歩一歩進むに従って、幼児の時のように、霊界との交流、指導霊との対話という作業はどうしても避けて通れないことになってきます。
ある意味で幼児帰りをするとでも言えるでしょう。

勘違いしていただきたくないのですが、霊能開発をして霊能者になる事が必要だと言っているのではありません。
今まで見過ごしてしまっていた指導霊からの働きかけを上手にキャッチし、それを日常生活に役立てながら自身の霊的な成長を量ることが、意識体の浄化を加速させていくことだということを理解していただきたいのです。

はきものをそろえさせる?

現在の仕事を始める前、十数年前のことですが「履物を揃える」「徹底的に掃除する」話をうかがう機会がありました。

「はきものをそろえる」の一節は道元禅師のものとされ、永平寺内にも掲示してあるという有名なものです。

このテーマは今でも根強い人気で、家庭教育や道徳教育などにも取り入れられているようです。

そのときのお話も良いお話ではあったのですが、経営者向けの講演会のせいか、履物を揃えれば会社が発展する、一生懸命掃除すれば儲かる会社になるという結論付けにちょっと違和感を感じたものです。

風が吹けば桶屋が儲かるのと同じ発想ですね。

履物を揃えたり掃除をすること自体は、自分や周囲の気分が良くなることですし、物に感謝する心の現われだと思いますから、否定するつもりはまったくありません。

しかしながら、個人個人が素直な心からそういう行動を取れるようになる事が大切であるとは思いましたが、儲けるために従業員に強制的にやらせようとする理屈は私には理解できませんでした。

自分の利益のために「道徳」を利用していること、言い換えると金儲けのために善を利用していることにその時の参加者の何人が気付いていたでしょうか?

一見良い話に聞こえ、やっている本人やらせている本人も良い事をしているつもりになっていますが、よくよくその人の内面を見つめなおすと世間愛や自己愛の奴隷になっていたということが少なくありません。 自分の教えがまさか金儲けの道具に成り下がるとは、道元禅師も思わなかったことでしょう。