修行考

意識の高い方々の中には、この世を修行の場と捉えていらっしゃる方が少なくありません。
経験豊富で気品漂うお年寄りの口から、穏やかな調子でこういう話が出てくると、なるほどそうだなあと周囲を納得させる不思議な力があります。
どこかで霊的真理を勉強されたわけでもなく、かといって特定の宗教に深く帰依されているわけでもありませんが、人生経験を通してこうした考え方が自然に身についていらっしゃったのでしょう。

とかく修行というと、肉体を痛めつけたり、人為的に精神的な追い込みをかけるような難業苦行を想像しがちです。
また、自分自身で自分を追い込む事によって生きている実感を得たり、追い込み自体が目的になってしまいそれが快楽にかわってしまっているような方を修行体質と呼んでいますが、そういう事でもありません。

以前にも述べていますが、肉体はこの世を過ごすために創造主からお借りしているものですから、出来るだけ大切に使ってお返ししなければなりません。
またこの時代のこの国に生まれることは二度とありませんので、生きていることを楽しんだら良いと思います。
ただこの世の享楽に溺れてしまっては人生の目的を見失ってしまいますので、充分に用心しなければなりません。

様々な因果の結果として私たちはこの世に生まれてきていますので、人生の大部分は修行である事には間違いありません。
生計を立てること、障害や病気を克服すること、煩雑な人間関係、誰かのお役に立つこと…、これらの問題に正面から立ち向かうこと自体が修行と言えるでしょう。

霊的真理から言えば、霊性を向上させることがこの世の人生の、修行の目的です。
誰しも経験があると思いますが、考え方やモノの見方を変えるだけで、目の前にある苦難が180°転換してしまう事があります。
ある事象を修行と捉えてもがいていた自分を、思考の転換があっという間に解放してしまうのです。
もはやその事象はその人にとって修行ではなくなってしまいます。
つまりは霊性進化あるいは向上の階段をひとつ昇ったことになるのです。

考え方やモノの見方を変え続けていく努力こそがこの世の修行を乗り越えるただひとつの方法かも知れません。
霊性進化の本分はここにあるのでしょう。

私たちは水槽の魚

水族館を思い浮かべてみましょう。

水槽には大概、「魚のストレスになるので水槽を叩かないでください」と注意喚起がしてあります。

 

しかしながら、良識のない人やマナーの心得のない人に限って、水槽をコツコツやっているものです。

一匹でも興味を持った魚が近寄ってくると、ここぞとばかりに指をあっちにやったりこっちにやったりして、ひとしきり魚をもてあそびます。

そして自分が飽きてしまうと、プイッと魚のことを放り出して、次の展示に行ってしまいます。

 

この世に生きる私たちも、水槽の中の魚のようなものと考えてください。

あちらの世界から見ると、水槽の中は丸見えなのです。

もうすぐあの魚と出会うとか、そっちに行くと何かとぶつかるとかおおよそ見当がつきます。

そして良識やマナーに欠ける未熟霊に限って、水槽をコツコツやるのです。

 

霊感に長けた人はそのコツコツを感知しますから、なんだろうと思ってそのコツコツの方に近づいて行ってしまいます。

コツコツやった未熟霊は面白がって、ひとしきりその人をもてあそぶのです。

そして自分が飽きるとプイッと放り出してしまうのです。

 

霊的な感知力に優れた人ほど、理性を駆使して現象を捉えなければなりません。

あちらからの働きかけのすべてが、愛に溢れたものとは限らないのです。

イエスの苦悩とマグダラのマリア

霊的真理への理解が深まり、少しずつ愛を表現できるようになってくると、取り巻きが増えてくるのとは裏腹に、内面的には孤高になってしまう時期があります。

「真に理解してくれる人は何と少ないことか」と。

しかしながらあのナザレのイエスでさえも、その人間としての生涯の中で、すぐ近くにいる弟子たちですら自分を理解してくれない、と嘆いたのです。

イエスの苦悩は、神的存在になるために必要な試練でした。

唯一マグダラのマリアだけが、イエスの苦悩の理解者でした。

彼女の存在自体がイエスの心の癒しであったのです。

あなたにもすぐ近くに理解者がいるのではありませんか?

あなたは幸せ者ですよ、感謝しましょう。

科学と真理は闇を切りひらく

その昔、雷のことを、神の怒りが引き起こす超常現象だと捉えていた時代がありました。
時代が進み科学が発展してくると、雷は、雲の中で水蒸気がこすれ合って発生する静電気の仕業であることが明らかになり、もはや雷を超常現象と考える人はいなくなりました。

同じく昔、天文学が一握りの権力者のものであった頃は、日食や月食をまるで自分が巻き起こしたかのように見せかけることで、民衆からの崇拝を受ける手段として天文学を悪用した為政者がいました。
民衆の知力が上がって、さらに天文学という天体運行の真理が普及するにつれて、このような為政者は存在できなくなりました。

現代は更なる科学の発展によって、地球と同じような天体が銀河系だけでも100個以上あることがわかってきていますので、もはや地球外生物の存在を否定する事すら憚られる時代です。
霊的な分野でも同様に19世紀頃からは科学的に捕捉され研究されてきているのですが、残念なことにそこで検証された知識や真理は未だに広がりが見られません。
こんな状態ですから、霊的な事項を自己利益のために悪用しようとする人物が昔から後を絶たないのは、皆さんがご存知の通りです。

またすでにスピリチュアルな事項に関わっている方の中にさえ、生半可な知識のままで携わっているが故に、ご自身をはじめ周囲を混沌の闇に巻き込んでしまっていらっしゃるケースもお見受けいたします。

科学の発展は超常現象の領域を狭め、真理の普及は偽物を駆逐します。

目には見えない世界を科学し、さらに経験を通して培った真理とともにこの時代に提供させていただくということが、私にできる数少ないお役目のひとつと再確認しております。

闇を切りひらく雷のように、ほんの一瞬でも光明をもたらすことができるよう精進したいと思います。

スピリットガイドの苦労

とある電気設備工事会社を経営する男性。

若くして独立した彼は、現場で働きながら社長業もこなし、会社を発展させてきました。

小さな会社ではありましたが業績はまあまあで、自分の仕事に誇りを持っていたこの男性は、将来は長男に会社を継がせたいと密かな期待をしていました。

長男は長男で、幼い頃から、懸命に働く父親の姿を見て、将来は父親のようになりたいと淡い尊敬の気持ちを抱いていました。

真面目に働く男性の姿は、長男に堅実さを植え付け、学校の成績も良い線を保つことができていました。

長男が中学生になった時、学校で三者面談がありその男性は初めて長男の胸の内を聞くことになります。

仕事が忙しくてなかなか家族と深い会話ができないでいた男性は、長男の「電気工事士になりたい」という希望を聞いてとても嬉しく感激しました。

男性は考えました、「よし、長男がこの道に進みたいなら、自分は他の誰よりも多くのことを教えてあげることができるし、資格を取るために効率的な方法だってわかっている」と。

そして「将来の資格勉強のために、今から何か電気の仕組みを理解できるものになじませておいてあげたいなあ」とも。

そこで長男にごく簡単な電子工作キットを何点か買い与えてみたところ、長男は四苦八苦しながらも器用に組み立てあげることができました。

仕事の忙しさを押して一緒に手伝った男性は、父親らしいところを見せることができて喜びました。

さすがに蛙の子は蛙、その後長男は様々な電子工作キットを組み上げながら少しずつ電気的な知識や手先の技術を蓄えていきました。

そのうちに長男はもっとすごいものを作ってみたいと思うようになり、一人でパソコンキットの組み立てに挑戦します。

今までやってきた工作よりも時間も手間もかかりましたが、苦労して組み立てあげたパソコンは特別な存在に感じました。

しかしこのパソコンの完成が、順調だった長男の成長に影を落とします。

作ったら実際に動かしてみたくなるのが人情というもの。

長男はそのうち自作のパソコンを通してネットの面白さに目覚めます。

動画サイト、オンラインゲーム、チャット…と、今まで限られた世界で生きてきた真面目な中学生には、これらの外の世界は刺激的すぎました。

そのうちに長男は、学校から帰宅すると、日に何時間もパソコンの前に座って、ネットに耽るようになってしまったのです。

当然学校の成績は下がり始め、学校へ行くことが面白くなくなり始めます。

長男が一度は心に決めたはずの電気工事士への道も怪しくなってしまいました。

電気の仕組みやら技能的なことを学んでもらおうと考えていた当初の男性の目論見は、完全に裏目に出てしまいました。

男性は、長男に志をもう一度思い出してもらい何とか軌道修正をして欲しいと、あの手この手を使ってみますが、刺激的な享楽に耽る長男には届きません。

人間的に未熟な時に味わった高揚感や刺激から目を覚ますのはなかなか難しいものなのです。

 


 

この世の中には、高揚感をもたらす刺激的で魅惑的な罠がたくさん仕掛けられています。

親の心子知らずと言いますが、私たちのスピリットガイドも未熟な私たちにきっと手を焼いていることでしょう…