霊的真理を学ぶ教科書?

時折、スピリチュアリズムや霊的真理を学ぶ良い本、教科書的なものはないかと尋ねられます。

一冊で全部理解できるような本があったら、ぜひ私が手に入れたいくらいです…。

近代スピリチュアリズムは、有名なハイズビル事件(1847年)をきっかけとして進展してきました。

スピリチュアリズムは霊的な事項を扱ってはいますが、結局は「なぜ生きるか」「どう生きるか」という現実的な問題に対処するためのものであると言えます。

先人達が残した様々な文献に触れて得たもの、人的な交流の中で得たものを、自分のものになるまで努力し実践する。

時々歩いてきた道を振り返り、軌道修正してはまた進む。

こういった地道な作業を通してしか、スピリチュアリズムが伝えたいことを理解することはできないと思います。

世の中にはたくさんの「スピリチュアル」を標榜した書籍があふれています。

あくまで私見ですが、スピリチュアリズムとの関連性の見分け方を参考までに…。

全ての霊的現象は真理を伝えるためのものでありますから、現象だけを取り上げて面白半分に伝えているものは、バツ。

ただし、真摯に科学的に研究しているものは、マル。

死後の生命の存続を否定したり、あえて記述を避けているものは、バツ。

ですから終末思想(この世の終わりや地球滅亡といったもの)はもっての外。

○○神であるとか、特定の古代霊や特定の人間への帰依や崇拝を誘うようなものは、バツ。

愛(因果律)について述べられているものは、二重マル。

というところでしょうか。

「霊的真理の教科書は、自分の人生を通じて作り上げられていくもの」

冒頭の質問への私なりの回答です。

家族への思いやり

自分の健康に何か問題があったら何とか克服しようと努力します。

ある意味自己責任だと割り切って、病気に向き合うこともできます。

しかし家族の健康に問題があった場合は、そう簡単に割り切ることができないものです。

人間、他人の事は上手に分析できるようにできていますから、「ここをこうしたら良くなるのに…」とつい口出しもしたくなります。

しかし家族といえども別人格ですので、それを強制することはできませんし、下手に口出しをして相手のストレスになるのも…と考えてしまいます。

やってはいけないとわかりつつ「心配」もしてしまいます。

その病気が重篤である可能性があればあるほど、家族のやりきれない気持ちも大きくなっていきます。

ある一人の病気は、本人が思っている以上に家族に影響を与えています。

まずは自分自身が健康でいる努力をしましょう。

心身共に健康を保つことは、自分自身のためになるだけでなく、家族への思いやりにもなることです。

両親からの贈り物

頑張りすぎたり、ネガティブになったり、心が乱れたとき…、身体は不調というサインを 送ってくれます。

自然の法則から逸脱してしまった結果として、身体上や精神上に病や苦痛といったものが起こります。

自然の法則?とよく尋ねられますが、それはとても広大で深遠な事ですので、そう簡単には伝えることができまません。

病は自分自身の生き方を見つめ直す絶好の機会です。
自然の法則と自分自身を重ね合わせ、意識をかえる事が病を克服する第一歩です。

この世を生きるために両親が準備してくれた、神からの借り物、それが肉体です。
あなた自身が自分の身体を大切に扱うことは、神や両親に対して感謝の気持ちを表すことでもあります。

母を亡くした時に思いました。
母が私に遺してくれた一番の形見は自分の身体だったと…

男と女

昨年末、久しぶりに来院された男性クライアント(C)さんとの会話。

C:「男性より、 女性のほうが情緒的な振幅が激しいのではないでしょうか?」

私:「私が今までに治療した感覚では、男女差は無いように思いますよ。」

C:「でも、楽しいとか、落ち込んでいるとか、怒っているとかは女性のほうが(外からみて)わかりやすいと思いますけど。」

私:「たぶんそれは、振幅そのものというよりも表現の仕方の男女差だと思いますよ。」

C:「……。そっか、そういえば男は内に籠めてしまう人が多いですね。見ててかわいそうになってしまうことがある…。」

生きている限り様々な出来事がありますから、誰しも情緒的、感情的な振幅はあるものです。
人によって振幅の揺れの大きな人もいればそうでない人もいますが、男女差では無いように思います。

実際、このクライアントさんの言うように「男は黙って…」みたいな価値観は洋の東西を問わず、この社会を覆っています。
現在の日本の中高年男性は、寡黙でいることや感情を表に出さないことを美徳として育ってきた世代と推察します。
最近の日本の自殺者統計を見ると、男性のほうが圧倒的に多いというのも、悩みやストレスを上手に表出できない性が原因の一端なのではないでしょうか。

私たちは慣習、風習、教育、宗教、報道等によって、ある行動パターンや思考パターンを知らず知らずのうちに身に着けてしまっています。
多くはこの世を生き抜くために大切で必要なことです。

しかし自国では常識でも、外国では無価値どころか非常識になってしまうものさえあります。
無批判に受け入れてきてしまった”常識”というものを疑ってみることは、自分自身を悩みという呪縛から解放するきっかけになることがあります。

振幅の大きさそのものについていえば、スピリチュアルヒーリングを重ね、霊的真理の学びが深まるにつれて、少しずつ落ち着いてくるようです。

自分を客観的に見つめる作業と、意識体(霊、魂)を活性化させることは心に平和を取り戻す両輪となるものでしょう。